ども、Tenです。
Tenは新陰流という古流の剣術の稽古会をやってたり、Tenが作ったオリジナルのGP法という整体手技のセミナーをやってたりするわけですが、そこに参加している人たちにも参考になる話をこれからボチボチと書いていこうかなとふと思い立ちました。
ってことで、第一弾を書いてみようかなと思います。
で、今回は、整体でも武術でもTenがとっても大事だと思っている「カタ」のお話でも書いてみようかなと思います。
大抵どこの国でも伝統的な武術や芸能では、ベースとなるカタっていうのがありますよね。
Tenがやってる新陰流兵法では伝統的に、「カタ」を形とか型とかって字を使わずに太刀とか勢法と書いて「カタ」と読ませたりするんですが・・・、
それは、形とか型って書くと意味が伝わらないからあえてそう言ってるわけなんですね。
形(カタチ)ではなく鋳型の型でもなく、あくまでカタなんですね〜。
実際には同じ読みをさせる太刀や勢法でも微妙に使い分けするんですけどね。
で、この琉球空手の先生が言っていたという「カタは氷のようなもの」って言うのには実は続きがあって、
「氷はそのまま使えば武器にもなるし、溶かせば顔も洗えるし、沸かせばお茶も入れられる」
って続くんですね。
(記憶の範囲で書いてるので正確ではないかもですが・・・、(^_^;))
カタっていうのが本当の意味で使いこなせるためには、カタチのない水のようなものになって初めて自由自在に使えるってことですかね?
上手い例えなので結構使わせてもらってたりしますが、
カタって言うのは型にはまった鋳型のようなものではなくって、本来すごく自由なものなんですよ。
でもね、算数の時に九九を覚えないと計算問題が解けないように、一番の基本っていうか、まずはそのカタをカタチとして寸分違わず覚える、そして、その後にそれを使って工夫するってのがメチャメチャ大事なんですね。
でも、一周りしたら同じ所に戻ってくる。
そんなイメージがとっても大事なんです。
新陰流の第二十世の柳生厳長先生から目録を貰っていたという武田正中氏が書いた「古武道」って本にこんなことが書いてあります。
「それは恰も一つの完全なる水晶の玉を砕くが如く、更らに微塵に砕き砕くが故に、当流にては「変化」と謂はずして「砕」と謂います。
この砕きの間に、この砕きの為に真の工夫を重ね、遂に一考案を立てるのであります。」
まさにそうなんですね。
カタって、玉のようなものなんです。
本当に考えつくされて作られたカタって、宝石のようなものなんですね。
それをまずは先入観も何もかも捨てて何も変えずに”そのまま受け取って”自分のものにして、
自分のものにできたなと思ったら、それを一旦砕いて、
こういうのを新陰流では、「砕(クダキ)」って言って、そうやってがんがんクダイて行くんです。
そして、バラバラにしたピースを集めてパズルのようにもう一度組み立て直すんです。
そうすると最初は多分、余っちゃうパズルのピースが出てきたり、どうしてもはまらない隙間もきっと最初は出てくるんですよね。
だから何度も何度もバラしては組み直す作業をして、
ピースが余らせないように、元々あった完全な玉になるようにもう一度組み立て直す、そんな作業を延々と続けるわけです。
そしてどうしてもわからなくなったり行き詰まった時とかに、つまり隙間が開いてたりピースが余ったりした時に初めて、先生や先輩に聞くわけです。
「これってどうなの?」
って。
自分で思いついた選択肢を全てやりきった後に聞くんですね。
そうしたら、正解以外の自分が思いつく限りの全てのルートを既に試してるわけだから、ちょっとしたヒントでストン!と正解にいけたりするんですね。
(これが本当に伝統的な流派でいうところの「口伝」です。やりきった人にしか通じないから、秘伝なんですね。単なるコツではないんです。だから言葉だけ知っても全然意味が無いんです。)
そして、無駄に細かくクダキすぎて行方不明になったピースのありかを教えてもらったり・・・。
禅の世界でも卒啄なんて話もありますが、実は、これが以前も書いたことがある「三磨の位」の本来の姿なんだと思います。
そしてこれはそのまんまドレイファス理論にも通じるんですね。
一旦バラバラにしたものを組み直したら、更に細かく砕いてまた組み立て直す。
そして、更に粉々になるまで細かく砕いて、更にまた組み立て直し、
さらにもっと細かく砕いて組み立てて・・・、
そんな感じで延々と砕いては組み立て続けて・・・。
Tenは新陰流を初めてからいつの間にか25年以上やってるわけですが、最初に入門した初日から未だに同じカタを延々と繰り返しているわけです。
でもね、
これがまた不思議なことに、
全然飽きないんですよ。
面白くってしょうがない。(^^)
それは何故かというと、
覚えたカタを自分で「自分が今できる最高の限界」まで砕いて、さらにそれを組み直すって作業を延々と続けているからなんです。
常に限界に挑戦してるんですね。
そして、
「なんで、このピースがはまらないんだろう?」
「なんで、全部組み立てなおしたつもりなのに、ここに隙間が空いちゃうんだろう?」
なんて感じで、長い時間をかけて行ったり来たりしながら考え続けてるんですね。
これが楽しくないわけがない!
常に新しい発見ばっかりです。
さらに流祖の上泉伊勢守やその後の歴代の伝人がどんなことを思ってたんだろう?なんてことを妄想しながらやってると、もうたまらんですね。(^_^;)
そして、それがそのまんま整体の施術にも応用できちゃうし。
そもそもそうやって出来たのがGP法ですし。
っていうか、そのまんま見えたものをやってるだけなんだけどね。
細かい所までどんどん砕いていくと、全てがつながってきて、楽しくなってきちゃいます。