今日は珍しく新陰流ネタです。

最近、こんなブログを見つけました。

東海史話

尾張徳川家に付いてかなり詳細に解説されているブログで、興味のある人にはかなり面白いです。

とはいえ、興味の無い人には面白くもなんとも無いのでしょうけど・・。

今回の話題は、尾張藩の支藩であった高須藩の代々に付いてのお話でした。

尾張藩の代々というのは、初代義直の直系は、吉宗と将軍の座を争った事で有名な7代宗春までで、それ以降は他家からの養子だという位は知っていたのですが、ここに書かれている系図をみてちょっと面白かったです。

高須松平家の5代が、あの治行なんですね。

で、治行の父である高須家4代義敏の兄宗睦が尾張家9代。

そして尾張家10代は一橋家からの養子。

つまり、義直の血筋である治行は尾張藩主に成らず、他家から入っているんですね。

そして、高須家7代までで、その義直の血統も途絶えてしまうわけです。

尾張の新陰流は、柳生宗家と尾張公とで順番に伝承者を出す事で、その命脈を守ってきたわけですが、この義直公の血筋でありながら尾張藩主になれなかった治行が、尾張柳生の歴代の継承者の中で、唯一、柳生家でも尾張藩主でもない新陰流の継承者なんですね。

だからどうしたって言われそうですが、知らなかったので面白かったです。

ついでに、高須家10代義建の息子に、有名な会津の松平容保がいるっていうのもなんだか面白いと思いました。

ちょっと高須家について調べてみようかな?