今日はちょっとマニアックなネタです。

ウィキペディアでたまたま整体の項目を見ていて思ったのですが、

「整体」と言う名称は、野口整体の野口晴哉氏が最初に命名したことからって話が色んな所で言われているようですが、実際の所、誰がこんなことを言い出したんですかね?

実際、色んなサイトの整体に関する解説って、このような内容が多いです。

ですが、最近出された様な本とかネット上の情報以外でこの話って(野口整体がらみの本とか以外)あまり僕は見た記憶が無いんですよね。

ネットの大きな弊害として、このようなデマが広まったら際限なく再生産されて真実がどっかに行ってしまうと言うことがある気がしますが、その典型ですね。

誰も原典に当たることをせず、孫引きの孫引きだったりして・・。

整体なんて、野口晴哉氏以前から言われていた言葉ですし、そもそも野口晴哉氏が活躍したのなんて戦後なんですよね。つい最近の話。なのに、なんで誰も疑問も持たずにその説をとってるんでしょうか?

ちなみに、公刊された本として最初に整体の名称を使っていると言われている本としては、大正時代に出された山田式整体術講義録って本があります。

これは、日本で最初に出されたオステオパシーの解説書として有名で、復刻もされていて研究している人も多いです。(僕はまだ目にしたこと無いですが・・・。)

そして、我らが平田内蔵吉翁も、大正から昭和にかけて、戦前に活躍した人ですが(惜しくも沖縄で戦死してるんですよね。)、その本の中でも整体と言う名前は普通に使われています。

当時すでに整体と言う言葉がこの業界では普通に認知されていたんだと言うことだと思います。

ちなみに、平田内蔵吉の療術は隆盛をきわめ、当時は3千人からの弟子が全国にいたと言われています。その亜流も多く、有名どころでは、イトオテルミーとか、八光流柔術に併伝された皇方医学とか、それから指圧の創始者の浪越徳次郎なんかも学んでいたことで有名です。

大正以前でも、本の題名としてと言うのは見たこと無いですが、中に整体という言葉を使って療術を解説している本はいくつか見た覚えがあります。
(古い本は部屋の奥深くしまっていて探してくるのは容易でないのですぐにどの本って言えないですが・・・。)

そもそもの整体と言う言葉の語源というのは、明治から大正にかけて欧米からカイロプラクティックやオステオパシーやスポンディロセラピー等が入ってきて、それに対応する日本語が無いことから、新たに整体と言う言葉を作ってあてたんだと言う話は、古い本などには書かれていることがあります。

真実はその辺りではないかと僕は思っています。
(ただ、整体という単語自体は古い柔術の整復術の中にあったという説もあり、どこから持ってきたのか?って話はよく分からないですが・・・)