やることをやめるって考え方、結構難しいみたい。

Tenもその昔最初に知った頃はしっくり来なかったけどいつのまにやらそういうのが当然のようになってます。

先日来られたお客さんで、腰がねじれててお腹が片側圧迫されてて肩が片方上がってる姿勢の方。(要するに体が左右にジグザグに曲がって固定されてる感じの方)

真っすぐ立つことがまず出来ない。

そこで色々とやってある程度整えたところ、寝た状態では真っすぐになりました。

その後立ちあがって姿勢をチェックした時にもかなり良い感じ。

主訴であった腰の痛みも改善。

ところが・・・、

おそらく今まで行っていた動作のクセなんでしょうか、施術後カバンを取ろうとする動作が既に歪んでる。

でもって、財布を取り出してってところまで見ててその動作も歪んでるんですね~。

自分で歪みを作り出す動作をしてるんです。

もう長年のクセがそうなっちゃってるんでしょうね。

それを指摘してもやっぱり分からない。
(まあ一般の人は最初は普通そうなんですが・・。)

そこでガラスに映る自分の姿を見てもらって曲がってることを確認してもらうと曲がってることは理解できるけど、自分でそれを作り出していることはまだ認識で来てない状態。

すべてをリセットするとOKになる感じ。

「まずはこの動作を目で見て確認して認識して、それを止めましょうか?」

って話をしてみたんですが、

そこでそのお客さん、自分の姿を見て、
(左肩が上がってたんですが)

「この上がってる肩を下げれば良いんですか?」
って。

それは違うんですよね~。

このあたり説明が難しいところなんですが、上がってたら下げるっていうのでは上げてるものにさらに下げるという動作を加えちゃうので歪みに歪みをさらに加算しちゃうのでまた違うものになってしまう。

そうじゃなく、上げる(逆に言うと反対側の肩を下げる)という今すでにしている動作をすることをやめないといけないんですね。

足し算ではなく引き算なんです。

そのためには今すでにしている動作というものをまずは認識しないといけないんですね。

何もしていないゼロの状態から動き出した時に、どんな動作をしているのか?

意識している動作と実際に行っている動作って相当訓練してる人でもかなりズレがあるもんです。

「している」ということを認識できるから、「することをやめる」という事が出来るわけで・・・。

分かってしまえば当たり前なんですが、なかなか難しいこの感覚。

なんであれ「まだしていない」人にはこういうのは必要ないんですが、「している」人にはこういう感覚を持っていないとカラダのパフォーマンスを上げることって出来ないんです。

掴むことも手放すことも自由にできるっていうのがホントの動作の自由なんですからね。

無為自然、ありのまま・・・、

そこまで行っちゃうと武術の極意みたいになっちゃうのでそれは難しいですが、それを目指してみても良いのかな~って・・・。

意外とスポーツとかしてる人でもこういう感覚を自然と掴んだ人は才能にかかわらずある程度良いところまでいけるけど、そうでない人は良い才能があっても途中で壁にはばまれたりとかってあるんじゃないかと思います。

でも、無意識的でなく意識的にこういう感覚って得ることは可能なのでそういう訓練をする事も良いことだと思います。