こんにちは!
GP法のTenです。

今日は、「経絡の脾経の脾ってホントは脾臓のこと?膵臓のこと?」というテーマで、話をしていきたいと思います。

前回、脾臓を元気にする方法ということで、脾臓のセルフケアとしてのポンプテクニックをやりましたが、

実は、東洋医学の脾経の脾って、臓器である脾臓じゃないって話があります。

この辺の話、僕的にはちょっと面白いなと思うので、今日は脾臓と膵臓と、東洋医学的な捉え方について話をしてみたいと思います

今日は経絡の脾経の脾ってなんのこと?っていう話です。

脾経の働きってどんなものかって言うと、

例えば、平田内蔵吉の皇法医学では、脾経っていうのは、栄養関係の内分泌作用の反応線って定義してます。

栄養関係の内分泌を司ってる経絡ってことですよね。

まさにこれって、膵臓なんじゃないの?って思いますよね。

昔の書物では、脾の位置はどこだって定義されていたかっていうのを追いかけると、

「脾の位置は胃下にあり, その機能は胃気を補助し, 穀を化するを主る」
ってあって、

脾の位置は胃下、つまり胃の下にあって、 その機能は胃の気の働きを助けて、 穀を化する、つまり、食べたものを消化するのを助けるっていうんですね。

まさに膵臓です。

これは結構有名な話ですが、江戸時代中期、1700年代に、杉田玄白とかが『ターヘル・アナトミア』っていうオランダ語の本を、「解体新書」として翻訳した時に、

今の脾臓と言われてるものを、東洋医学的な脾と勘違いして、

本来なら、脾である、膵臓を、これは今までの東洋医学に無い臓器だから、新たに名前をつけようってことで、新たに作ったものなんですね。

膵臓の膵って時は、中国から伝わった漢字ではなく、

日本でつくられた漢字で、

実際には杉田玄白自身が作った漢字ではなくって、杉田玄白は、日本語に当てはまる字が無いので、そのままアルファベットの読みを漢字で記述したそうなんですが、

杉田玄白の時代から少し下った1800年頃に、宇田川玄真ってひとが、初めて膵臓の膵って時を使ったって言われてます。

和製の漢字だったんですね。

これは古典をみてもやっぱりそうで、

例えば黄帝内経素問っていう古典の本がありますが、

これの太陰陽明論では、

「太陰陽明は表裏をなす、脾は常に胃につき、脾と胃は膜をもって相連なる」

って書かれてたりするんですね。

太陰脾経と陽明胃経は表裏の関係で、
膜で隣り合わせになってるってことですよね。

そして同じ素問では、形の記述もあって、
脾の形、馬蹄にかたちどる、っていうのもあるんですね

あと、和漢三才図会にも、
形はカマのごとし、
胃と膜を同じくして、その上の左に付着すってあります。

まさに膵臓ですよね。

最近では、東洋医学の脾経の働きっていうのは、脾臓と膵臓の働きを合わせたものみたいな解釈が多いですが、

実は、西洋医学の書物を翻訳したときの誤訳から、臓器の名前が変わっちゃった、そんな歴史があったっていうのは面白いですよね。

詳しくはyoutubeで解説してますので、こちらを見てくださいね。