昨日、葛根湯医なんて話を書きましたが、とってもタイムリーなことに少し前に届いたある出版社のニュースレターを読んでたら・・・、
・・・
葛根湯医って・・・、
実は名医なんじゃん!
そうなんですよね。
これを読んで思ったのは、未病治を目指していた江戸時代の心ある医者は、当時すでに堕落していた医療に対して、こういう地道な本来の医療をしていたってことなのかな?ってことなんですよ。
でも、一般の人にはなかなか認知されない・・・。
そういうことが、落語の世界の笑い話としてのこってしまったのだろうか?ってね。
ちょっと引用しますが、
「売薬をこととする医者どもは、ただ用薬の量を多くするために薬を多用する」
「めまいがするといえば、めまいの分として薬を加え、腰痛の訴えがあれば薬を一、二味増やす。一つの処方に二十種類以上の薬を使うことがある。おかしなことである。」
そして、対症療法的なものを
「芝居を見て泣いている人に悔やみをいうのと同じ」
なんて言って批判してるんですね。
今の状況とまったく一緒です。
そういえば、紀元前に中国で書かれた古典にも、同じような話があるんですよね。(原典を確認してないので記憶のままですが。)
「戦が始まってから、盾や矛を作るようなものだ」
とか、
「のどが渇いてから井戸を掘るようなものだ」
とかって・・・。
でも、逆に考えると、(今もそうですが、)2000年以上前から、そして江戸時代でさえそういう考え方は一部の心ある人にしか浸透していなかったってことなんですよね~。
病気になってからでは遅いんですよ。
その前に、あなたの人生をより良いものにするためには、そのベースであるカラダに対して何をしなければいけないの?ってことを常に心の片隅に入れておくってのは、大事なことなんだろうと思います。