今回初めてってわけじゃないんだけどより深くそう思ったのが今回だったんですが、
バイオって僕が普段思ってる武術的な考え方にメチャメチャ近いな~ってやっぱり今回も思っちゃった。
そう思ってテキストをパラパラめくると・・・、
おお!
まるで影目録みたい~。
「諸流を廃せずして諸流を認めず」みたいなことが書いてあってニンマリしちゃいました。(^_^;)
他の記述もなんだか古流の伝書を読んでるような趣なんだよね~
早い話が何言いたいんだか良くわからんってことなんですが・・・。(^_^;)
ついでなんで影目録の続きを書くと、
「且つ又 懸待表裏は一隅を守らず
敵に随って転変して一重の手段を施す事恰(あたか)も風を見て
帆を使い兎を見て鷹を放つが如し
懸をもって懸と為し待をもって待と為すは常の事なり
懸懸に非ず待待に非ず
懸は意待に在り待は意懸に在り
牡丹花下の睡猫児(すいみょうじ)学ぶ者此句を透得して識る可」
なんだよね~。
なんだか似たようなことが書いてあるような気が・・・。
面白い。
今回セミナーに出たのにあたって最初のテキストから全部読みなおしたんだけど、以前は分からなかった内容が今読むとなんとなくわかるようになってるからこれまた不思議。
ついでに似てるなと思った影目録なんかも改めて読み直すとこれまたあらたな発見というか理解が深まるから面白い。
バイオって相手にいかに介入しないで、コントロールしないで相手を変えるか?というか、相手に自分から変わってもらうように促すのか?って感じなのかな?
相手にせっせと施して変わってもらおうとするんじゃなくって、相手も自分も根本は一緒なんだから、一緒だよね!って共感というか体感の元に一緒にいるだけで相手に気づいてもらって、自分から変わってもらうというかなんというか・・・、
その為にただ寄り添って、その中で出来る彼我の関係性の中で自然に生まれる何かをただ保ってその中で変化を待つというかなんというか・・・。
言語化出来ない部分を伝えようとしてるんだからやっぱりうまく言語化出来ないわけですが、そんな感じなので色々と面白いです。(^^)
やっぱり「日夜鍛練工夫し尊天の感応を蒙り忽然として自己の胸襟に流出するもの」なんだろうね~。